2022年11月4日

4日目

今日は中国に帰る。全然興奮していない、なぜならば到着したらすぐに検疫ホテルに収監されて、7日の刑務所がある。僕のフライトは午後1時なので、特に二番目のPCRテストは午後一時半に設定した、そうすると二番目のテストはフライトまで24時間内だ。「中国検疫ルール」。僕のホテルは仁川国際空港まで一時間の車があるので、中国はコロナに対する検疫ルールがあるので、多分バカみたいなルールがあるから、念の為、朝ご飯をスキップと決めた。

Hotel PJからチェックアウトは簡単だ、ルームキーをフロントに渡したらいい。思った長いチェックアウトと全然違うなぁ。タクシーを呼んで、そして、Google翻訳で教えた:今度荷物がたくさんある時、空港シャトルを呼んだ方がいい。そして、カードをくれた。

まぁ、ここにカードのインフォメーションを書いたら、広告になる。僕は広告が大嫌いだ。が、もし空港シャトルを呼びたいと、+82 10-8800-0488、Hong Sang Soo「ホンサンスー」を連絡して、大きいな車が来る。ドライバは優しくて、空港の駐車場に行って、僕の荷物を空港入口まで送ったから、ここの広告はいい。また、空港からホテルまでを運転してくれたドライバと同じように、このドライバも運転してくれたら僕と手を振った。多分空港からと空港までのタクシーの値段が高いから。でもタクシー料は60000韓国円で、42ドルだけだ。


中国に入るフライトは大韓航空なので、大韓航空のカウンタに行った。自分のインフォをキオスクに入力したら、モニターで「ビザに関する問題がある、スタフにパッスポートに見せて」だった。スタフへ行ったと、スタフが混乱した。自分の目的地は中国だと教えたと、スタフがもう混乱しなくて、カウンター7に行ってと教えてくれた。カウンター7は中国に行くフライトのカウンターだ。

荷物のカートをあそこに押したら、空いてるカウンターで20人がもう列に並んで待ってる。僕は9時に空港に到着したので、飛行機は出発するまでまた4時間だ。空港スタフが来た前にカウンターに近い席で一時間座って待ってたが、30分ぐらいの時皆全部立って待ってた。

 

僕のあの時のインスタのストリーポストだ

 

列に並んで待ってる時、もう列の最後だ、なぜならば「頭が良くて」スタフがなかったらなぜ立って待つのは考えられない。待ってる時、一人のスタフがこっちに来て、僕の書類をチェクした。どうやら僕は書類不足だ。他のアップリがあるのが必要だ。


中国のアプリの微信「ウィチャット」でカスタムのミニーアプリが必要だ。中国人として、ウィチャットをよく使ってるので、僕にとって大丈夫だ。カスタムのコードをスキャンしたらミニーアプリが出って、インフォを表に入力したらいい。インフォを入力したら、新しい黄色のコードが出てくる。

ウィチャットを全然使いないと、問題だが、簡単だ。アプリをダウンロードして、アカウントを作ったらいい。でも、中国に入るので、多分もうウィチャットを毎日使ってる。

僕のように書類不足の人が多かった、でも全部老人だ。一人の韓国のパースポットを持ってるのに中国語で話してる老人は僕に助けを求めた。最初に、手順を教えてあげたが、この老人は僕にインフォを入力して欲しいと求めた。全然やりたくないのに、まぁあの人は故郷のアクセントがあるので、助けてあげた。

あの人を助けてあげたら、他の老人たちは集合して僕の助けを求めるためここに来た。この老人たちはインフォを入力するのを欲しくなかったので、安心だったが、自分ができるほど助けてあげた。あの日、5人や6人などの人を助けてあげた、そうしたと、カウンターに最後に着いたのは僕だ。

チッケトを手に入れて、大きいな荷物を全部受託したら、スタフはギターの超過手荷物費を要求した。荷物費は50ドルだった、悪くない。彼女は僕のチケットを取って、荷物費を支払ったらまた新しいチケットが手に入れる。支払いカウンターは空港ホールの反対側だ。苦しかった。


たくさんの人を助けてあげたので、セキュリティチェックご一時間しか残った。通常に、韓国での乗り継ぎはターミナル1で、大きいでたくさんのレストランがある。今回はターミナル2だ。ターミナル2では初めてなので、1と2の差が全然知らなくて、食べもにを探しに行った。ターミナル2の最東側に行ったと、レストランはただ一店あって、韓国の麺と餃子の店だ。昨日キエンと一緒に食べた麺と餃子だ。同じ食べ物を短時間に食べたくないので、ターミナル2の最西側に行ったと、レストランが全然なかった。

ゲートが閉めるまで20分しかので、また空港の最西側で麺と餃子を注文した。昨日キエンと一緒に食べたと比べるとよくないが、何かを食べたのは今日の一番素敵な決断だ。結局、機内サービスが全然なかった、食べ物が全然なかった。検疫ホテルにチェックインする前に食べ物もなかった。麺と餃子の昼ご飯を食べなかったら、お腹が朝7時から午後5時まで空いてる。だからこそ、飛行機に乗る前に絶対に何かを食べた方がいい。キエンに今日の昼ご飯の写真を送ったら、一緒に笑った。

 
 

アシアナ航空はギターを機内に持つのは禁止するが、大韓航空でいい。ギターを機内に持って行ったと、スタフにギターをどこで置いたらいいと聞いたら、ビジネスクラスのコットクローゼットに置いてくれた。ギターに関するルールはとっても優しいので、アシアナ航空よりいい。

とはいえ、大韓航空の最も大嫌いな点は機内安全ビデオだ。通常に航空会社は自分の独特さを展示するため特別な安全ビデオを作るが、飛行機しか展示してる。大韓航空は、アイドルバンドのBTSを頼んで、BTSのショーになった。多分BTSのファンギャル達にとってとってもいいサプライズだが、今日に機内にある皆は全部40歳以上なので(僕は最も若かっただ)、機内は静粛だった。韓国アイドルバンドが大嫌いで、あのビデオは10分以上で(BTSは大袈裟だ、もう主演料を支払ったのでもっと長くするほうがいいかも)、大嫌いだった!機内スタフは僕の目の転がすを見た笑。


ついに中国に到着したと、自分の席に残すという指令を受けた。20分後、頭から足まで全部病毒安全服を着てる人たちは機内に来て、僕たちの名前と番号がある紙を渡した。僕の紙は機内スタフからもらった。多分アメリカ人のカードは特別に作ったようだ。

空港はとっても不潔だ、多分コロナが来た日から、三年間に掃除をしなかった。故郷の空港はこの様子で悲しい。自分の荷物をフロアに置きたくなくなる。

ターミナルの右でコロナテスティングのため列に並んでまった。長く待ってたが、あなたの出番なら、本当に、本当に大力で喉に刺す。中国では鼻のテストをしないが、喉に大きい力で刺すと咳をする。もし知らないと、この人は僕に憎いを持ってる。

テストを受けたら、外国人は外国人入国カードの書いが必要だ。一人の審査官は僕のアメリカのパッスポートを見たら、僕を別の列に移動した。彼はとっても優しいが、また入国審査で一時間をかかった。また一人のアメリカ人がいて、僕たち二人は最後に空港から出られる人だ。30分だった!コロナが来た前に、入国審査は5分も使えないが、今日は一時間かかった。

一点に、僕たちのパッスポートは空港の後ろに連れされて、他の入国審査官は僕たちにたくさんの質問をしてた。他のアメリカ人はこれは中国とアメリカの緊張な国際関係に関するでしょうかと聞いたら、審査官はこれは関係ないと答えたが、頭がいい人はもう本当の答えが知るはず。でも、彼はとっても優しいので、気持ちは全然悪くない。

一時間後、とても疲れたと、パッスポートを僕たちに戻ってきて、ついに空港から出った。バースに入る指示を受けたら、結局、バースにいる韓国人達は僕たち二人のアメリカ人を待ってた。検疫ホテルが選べなくて、到着まで、どこに収監することも知らない。


大連国際空港は僕と僕の家族にとってとってもお馴染みだ、なぜならば30年ぐらいに僕たちはこの空港から世界を回ってる。僕はこの空港まで運転することもある。バースは僕の家の向こうに運転してたので、僕はいつも家族を連絡して、今の居場所を教えてあげた。本当に家の向こうに運転するのを確認したら、父と衛星位置の共用をし始めたと、父は車でバースを追随いた。しばらくして、僕の家族はついにバースの右側に追いてきて、ついにこの目で親しい人の顔を見た、まぁバースの窓があるが。


検疫ホテルは僕の家はら500メートルしかだ。ホテルはゲートから遠くて、一般人は立ち入り禁止。父と母はゲートから立ってと、離れた。僕たちは自分の荷物を一緒にフロアにある白い丸に置いたら、スタフはアコホルをスプレーして消毒した。僕は列の最後なので、ロビーでチェックインはまた30分後のことだ。

僕の「ホテル」は大连仲夏花园酒店と呼ぶ、大連仲夏花園ホテルだ。とっても古いと不潔のホテルだ。このホテルは1990年に建って、僕より10年年上だ。ホテルがオープンしたら、改造と改良する工事が全然なかったそうだ。アウトレットは一つだけある、スマホを充電する時他に何も充電できない。高校の時もこのような寮で住んだことがあるが、これはホテルだ!とっても不潔で匂いが悪かった。これはホテルじゃなく、監護だ。ホテルにチェックインしなかった、収監された。もしコロナウィルスがなかったら、このホテルはもう閉店するのだ。くそ。

キエンを中国に誘ったが、もし彼女もこのようなホテルに収監させたら、僕は決して自分を許せない。

普通のルームの値段は一泊450中国円(62ドル)で、高級ルームは550中国円(76ドル)だ。高級ルームは普通リームより、ちょっと大きくて、バルコニーがある。そんなに貧乏じゃないので高級ルームにした。毎日3回の食事が含まれていた、外の食べ物は一切禁止。

ルームに着いたらすぐにバルコニーを見たい、なぜならばバルコニーがあると7日の監獄生活はまた新鮮な空気が吸える。でも、バルコニーのドアが鎖につながれた、空気が入れるように狭い開口だけできる。生き続けるが、これは本当に酷すぎ。まぁ、中国に帰ったらそんなに監獄生活が予想通りだ。


最後に:含まれた食事は小さすぎる、特に昼ご飯だ。特にもう一つの昼ごはんボックスを注文しなかったら餓死する。

余分の昼ごはんボックスは40中国円(5.52ドル)で、余分の晩ご飯は30中国円(4.41ドル)だ。中国に住んだことないアメリカ人達にとって、これは安すぎが、このような品質でこんな値段を付いたら高すぎる。外の食べ物が一切禁止されるので、ホテルの食べ物しか食べられる。食べなくてもいいが、食べなかったら餓死する。

でも、これは僕だ。僕は昼ご飯の時たくさん食べられる。朝ご飯と晩ご飯が問題ない。